ino hidefumiさんのDVDを先輩から借りていたんです。
年末に一度見て、今日もう一度見直したら色々と発見がありました。
同じものを見ても「その時の自分によって吸収するものが違う」ということはよくあること。
先輩に返す前に気づけて良かった。
内側からくる’モノ’を表現する。
ino hidefumiさんはご自身の代名詞的楽器フェンダーローズ以外にも色々な楽器を使います。
グロッケンや卓上木琴など。こうした打楽器は僕的にも馴染みがあります。
彼は鍵盤弾きなのにそういった打楽器も演奏する。
ちょっとぎこちない部分もあるのですが、それも含めてカッコイイ!
整っているものだけがカッコイイとは限らない。
荒削りであるか、整っているか、そこに感動があるのでは無く人間の内側から来るモノを出していることが感動を呼ぶ。
そんな事を感じました。
完全なモノなんていうことのほうが少ないし不自然なんじゃないか。
自分の音楽も変に整えすぎていないか、と自問自答。
考えれば考えるほど小さくキレイにまとめちゃう。
それは考えなければ答えが出ないから。
考えるのではなく、もっと感覚的に。体が勝手に反応するぐらいの方がいいと思った。
まあ、「じゃあそうなるにはどうすればいいの?」と言われたら「たくさん考えて勉強や練習を積む」しかない。
「考えて作っているうちはまだまだ」ということかなぁ。